2018-08-27
鎌倉案内版(Kamakura)
鎌倉長谷の灯かり 2018/8/26
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当日は鎌倉の長谷で行われる「長谷の灯かり」の最終日でした。
長谷観音と御霊神社のライトアップをご紹介します。
【長谷観音とは】
観音山の裾野に広がる下境内と、その中腹に切り開かれた上境内の二つに境内地が分かれており、入山口でもある下境内は、妙智池と放生池の2つの池が配され、その周囲を散策できる回遊式庭園となっております。また、その周辺にとどまらず、境内全域は四季折々の花木に彩られ、通年花の絶えることのないその様相は、「鎌倉の西方極楽浄土」と呼ぶに相応しい風情を呈しております。
注)長谷寺のHPより引用させていただきました。
【長谷寺へのアクセス】

注)長谷寺のhpより参照しました
【御霊神社とは】
長谷寺に近接した場所にあり、江ノ電の長谷駅より歩いてすぐにあります。
境内の山門の傍に江ノ電が走っていて絶好のインスタ映えのポジションだと思います。
【長谷寺の入口】

【長谷観音の本堂のライトアップ】

【提灯】参拝者に配られますが帰りには返却してね。

【御霊神社の本殿】

【極楽寺睦囃子連】

動画は私のYouTubeにアップしてます
http://youtu.be/nvWPPZWEKhA
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当日は鎌倉の長谷で行われる「長谷の灯かり」の最終日でした。
長谷観音と御霊神社のライトアップをご紹介します。
【長谷観音とは】
観音山の裾野に広がる下境内と、その中腹に切り開かれた上境内の二つに境内地が分かれており、入山口でもある下境内は、妙智池と放生池の2つの池が配され、その周囲を散策できる回遊式庭園となっております。また、その周辺にとどまらず、境内全域は四季折々の花木に彩られ、通年花の絶えることのないその様相は、「鎌倉の西方極楽浄土」と呼ぶに相応しい風情を呈しております。
注)長谷寺のHPより引用させていただきました。
【長谷寺へのアクセス】

注)長谷寺のhpより参照しました
【御霊神社とは】
長谷寺に近接した場所にあり、江ノ電の長谷駅より歩いてすぐにあります。
境内の山門の傍に江ノ電が走っていて絶好のインスタ映えのポジションだと思います。
【長谷寺の入口】

【長谷観音の本堂のライトアップ】

【提灯】参拝者に配られますが帰りには返却してね。

【御霊神社の本殿】

【極楽寺睦囃子連】

動画は私のYouTubeにアップしてます
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2018-08-24
鎌倉案内版(Kamakura)
鎌倉の文学館のライトアップ 2018/8/23
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鎌倉の長谷ではこの時期には神社仏閣や名所のライトアップが実施されてます。
今回は文学館のライトアップの画像をお伝えします。
【鎌倉文学館について】
旧前田侯爵家の別邸を鎌倉市が寄贈を受け、昭和60年(1985)以来、文学館として活用しています。国の登録有形文化財となっている格調と気品あふれる建物の中に、鎌倉ゆかりの文学者の展示を行ない、文学資料の収集保存など様々な活動をしています。
HPより参照
広大な庭にはバラが咲き乱れてその時期は沢山の観光客で賑わいます。
【ライトアップの写真3点】



動画はyoutubeにありますので下記のURLです
https://www.youtube.com/watch?v=RryJKNyjX2w


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鎌倉の長谷ではこの時期には神社仏閣や名所のライトアップが実施されてます。
今回は文学館のライトアップの画像をお伝えします。
【鎌倉文学館について】
旧前田侯爵家の別邸を鎌倉市が寄贈を受け、昭和60年(1985)以来、文学館として活用しています。国の登録有形文化財となっている格調と気品あふれる建物の中に、鎌倉ゆかりの文学者の展示を行ない、文学資料の収集保存など様々な活動をしています。
HPより参照
広大な庭にはバラが咲き乱れてその時期は沢山の観光客で賑わいます。
【ライトアップの写真3点】



動画はyoutubeにありますので下記のURLです
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2017-11-27
鎌倉案内版(Kamakura)
鎌倉案内 2017/11/25


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当日は晴天で久しぶりに鎌倉山にいきました。
鎌倉山にある扇湖山荘を紹介したいと思います。
この庭園と本館は春と秋の2日ずつで年に4日しか公開されていません。
いかにも勿体ないと感じるのは私だけではないと思います。
無料の公開ですが、庭園の管理は鎌倉市で行いますので相当な費用が必要です。
有料にして沢山の人が鑑賞できるようになることを希望します。
【扇湖山荘】の紹介
飛騨高山の民家を移築し、手を加えた戦前の建築で、庭は高名な作庭家による日本庭園です。
製薬会社創業者の別荘として建てられました。(鎌倉山1-21-1)
【本館の写真】


【入口】

【庭の紅葉】

【竹林】

【庭から由比ガ浜方面を望む】
庭の木を低くして海が見えるようにしてます。海が扇のような湖にみえませんか?


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当日は晴天で久しぶりに鎌倉山にいきました。
鎌倉山にある扇湖山荘を紹介したいと思います。
この庭園と本館は春と秋の2日ずつで年に4日しか公開されていません。
いかにも勿体ないと感じるのは私だけではないと思います。
無料の公開ですが、庭園の管理は鎌倉市で行いますので相当な費用が必要です。
有料にして沢山の人が鑑賞できるようになることを希望します。
【扇湖山荘】の紹介
飛騨高山の民家を移築し、手を加えた戦前の建築で、庭は高名な作庭家による日本庭園です。
製薬会社創業者の別荘として建てられました。(鎌倉山1-21-1)
【本館の写真】


【入口】

【庭の紅葉】

【竹林】

【庭から由比ガ浜方面を望む】
庭の木を低くして海が見えるようにしてます。海が扇のような湖にみえませんか?

2017-11-02
鎌倉案内版(Kamakura)
鎌倉のレストラン 2017/10/30
当日は「鎌倉歴史文化交流館」の帰りに古我邸に行きました。
【古我邸の紹介】
古我邸は、鎌倉に別荘文化が花開いた1916(大正5)年、三菱合資会社(後の三菱財閥)の専務理事兼管事(管事=仕事を取り仕切る人、支配人)をしていた荘清次郎(しょう・せいじろう)の別荘として建てられました。
設計を担当したのは、桜井小太郎(さくらい・こたろう)氏。旧三菱銀行本店や旧丸の内ビルディングを設計。日本の近代建築史にその名を残す名建築家が、15年の歳月をかけ完成させたのが古我邸でした。
1923(大正12)年9月1日午前11時58分45秒、相模湾を震源とした大地震が発生。鎌倉にも甚大な被害をもたらした。
9割の建物が倒壊、市内はガレキ野原と化した。その中で残ったのが古我邸だった。
損壊を免れた奇跡の建物は、その後、日本の歴史と大きく関わりをもつことになる。
まず受け入れたのが、震災をきっかけに東京から逃れてきた政治家たち。
第27代内閣総理大臣・濱口雄幸(はまぐち・おさち)、第34、38、39代内閣総理大臣・近衛文麿(このえふみまろ)が、古我邸に居を構えた。
そして戦後には、GHQに接収され、将校クラブとして使われた。
※以上はやまだ ひさえさんの記事を参照させていただきました。 ありがとうございました。
(地図)

(メニュー)

(正面の庭)


(裏庭のテラス)




(レストランの入り口)

当日は「鎌倉歴史文化交流館」の帰りに古我邸に行きました。
【古我邸の紹介】
古我邸は、鎌倉に別荘文化が花開いた1916(大正5)年、三菱合資会社(後の三菱財閥)の専務理事兼管事(管事=仕事を取り仕切る人、支配人)をしていた荘清次郎(しょう・せいじろう)の別荘として建てられました。
設計を担当したのは、桜井小太郎(さくらい・こたろう)氏。旧三菱銀行本店や旧丸の内ビルディングを設計。日本の近代建築史にその名を残す名建築家が、15年の歳月をかけ完成させたのが古我邸でした。
1923(大正12)年9月1日午前11時58分45秒、相模湾を震源とした大地震が発生。鎌倉にも甚大な被害をもたらした。
9割の建物が倒壊、市内はガレキ野原と化した。その中で残ったのが古我邸だった。
損壊を免れた奇跡の建物は、その後、日本の歴史と大きく関わりをもつことになる。
まず受け入れたのが、震災をきっかけに東京から逃れてきた政治家たち。
第27代内閣総理大臣・濱口雄幸(はまぐち・おさち)、第34、38、39代内閣総理大臣・近衛文麿(このえふみまろ)が、古我邸に居を構えた。
そして戦後には、GHQに接収され、将校クラブとして使われた。
※以上はやまだ ひさえさんの記事を参照させていただきました。 ありがとうございました。
(地図)

(メニュー)

(正面の庭)


(裏庭のテラス)




(レストランの入り口)

2017-10-10
鎌倉案内版(Kamakura)
鎌倉案内2017/10/8


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鎌倉の「オクトーバーフェスタ」に行きました。
当日は爽やかな秋晴れの中、市役所の駐車場を開放してオクトーバーフェスタが開催されました。
場内では午前中から大勢の市民が集まって盛り上がってました。
鎌倉の店の紹介と、日本の地ビールが出店してました。
イベントでは吉本興行から鎌倉に移住した若い芸人が歌を披露してました。
当日の写真をご覧ください






【ねたのおにいさんの乾杯動画】
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鎌倉の「オクトーバーフェスタ」に行きました。
当日は爽やかな秋晴れの中、市役所の駐車場を開放してオクトーバーフェスタが開催されました。
場内では午前中から大勢の市民が集まって盛り上がってました。
鎌倉の店の紹介と、日本の地ビールが出店してました。
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当日の写真をご覧ください






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