2017-11-01
鎌倉案内版(Kamakura)
鎌倉の文化 2017/10/30


当日は鎌倉歴史文化交流館での企画「甦る永福寺」の展示を見に行きました。
「鎌倉歴史文化交流館」については以前紹介しましたが、簡単に紹介します。
アクセス:鎌倉駅西口に出て、ロータリーをまっすぐ進み紀伊国屋の交差点を右折して100メートルぐらいで左折すると行けます。
現在は永福寺跡は公園として整備中ですが、交流館ではCGによる復元の画像が公開されてます。
VR永福寺の特別体験を行っていますの電話でお問い合わせ下さい。
電話 0467-73-8501
【永福寺(ようふくじ)】の紹介
永福寺は源頼朝により建久3年(1192年)、奥州合戦で亡くなった弟・義経や藤原泰衡ら数万の霊を供養するために建てられた大寺院。応永12年(1405年)の火事で焼失したといわれ、現在は廃寺。発掘調査により本堂、阿弥陀堂、薬師堂の三堂が横に並び、その前面には広い池が作られ、中の島や釣殿がある浄土式庭園を持つ壮大な寺院の遺構が確認されている。現在は、鎌倉時代を代表する遺跡として国の史跡に指定され、史跡を生かした公園として整備工事が進められている。
かまくら観光より参照しました。
(館内の展示物)







当日は鎌倉歴史文化交流館での企画「甦る永福寺」の展示を見に行きました。
「鎌倉歴史文化交流館」については以前紹介しましたが、簡単に紹介します。
アクセス:鎌倉駅西口に出て、ロータリーをまっすぐ進み紀伊国屋の交差点を右折して100メートルぐらいで左折すると行けます。
現在は永福寺跡は公園として整備中ですが、交流館ではCGによる復元の画像が公開されてます。
VR永福寺の特別体験を行っていますの電話でお問い合わせ下さい。
電話 0467-73-8501
【永福寺(ようふくじ)】の紹介
永福寺は源頼朝により建久3年(1192年)、奥州合戦で亡くなった弟・義経や藤原泰衡ら数万の霊を供養するために建てられた大寺院。応永12年(1405年)の火事で焼失したといわれ、現在は廃寺。発掘調査により本堂、阿弥陀堂、薬師堂の三堂が横に並び、その前面には広い池が作られ、中の島や釣殿がある浄土式庭園を持つ壮大な寺院の遺構が確認されている。現在は、鎌倉時代を代表する遺跡として国の史跡に指定され、史跡を生かした公園として整備工事が進められている。
かまくら観光より参照しました。
(館内の展示物)






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