2019-10-06
鎌倉案内版
【鎌倉の旧華項邸の公開 201910.5】
旧華項宮邸の公開がありました。
建物の公開は秋に2日、春に2日と4日間しかありません。
お庭の公開は月曜と火曜日を除いて開催されてます。
まず旧華項宮邸について説明いたします。
読み方は(きゅうかちょうのみや)と読みます。
華頂宮(かちょうのみや)は、慶応4年(1868年)に伏見宮邦家親王の第12王子、博経親王によって創設された宮家だそうです。
鎌倉の旧華頂宮邸は昭和4年の春に華頂博信侯爵邸として建てられました。
そこは当初から常住の住宅として用いられていました。
その後平成8年5月に市が取得しました。
華頂宮家について
伏見宮邦家親王12男子、博経親王を始祖として伏見宮家の分家にあたります。
は明治元年勅命により復飾(俗世間に戻る)して、知恩院の山号「華頂山」にちなんで
華頂宮の称を賜ったそうです。
それでは画像と動画でご覧いただきます。
【南側からの屋敷】

【北側からの屋敷】

【フランシス式庭園】

【庭園】

【邸内の生け花】

【無為庵玄関】

【無為庵の庭側】

【木の門より和館を見る】

【庭から本館を見てみる】

邸内の様子は私のYouYubeの画像からご覧下さい。
YouTubeでの邸内画像
いつもご視聴いただきありがとうございます。
今後とも「鎌倉案内版」を宜しくお願い申し上げます。
(下のバナーをクリックしたら本広告にリンクされます)





旧華項宮邸の公開がありました。
建物の公開は秋に2日、春に2日と4日間しかありません。
お庭の公開は月曜と火曜日を除いて開催されてます。
まず旧華項宮邸について説明いたします。
読み方は(きゅうかちょうのみや)と読みます。
華頂宮(かちょうのみや)は、慶応4年(1868年)に伏見宮邦家親王の第12王子、博経親王によって創設された宮家だそうです。
鎌倉の旧華頂宮邸は昭和4年の春に華頂博信侯爵邸として建てられました。
そこは当初から常住の住宅として用いられていました。
その後平成8年5月に市が取得しました。
華頂宮家について
伏見宮邦家親王12男子、博経親王を始祖として伏見宮家の分家にあたります。
は明治元年勅命により復飾(俗世間に戻る)して、知恩院の山号「華頂山」にちなんで
華頂宮の称を賜ったそうです。
それでは画像と動画でご覧いただきます。
【南側からの屋敷】

【北側からの屋敷】

【フランシス式庭園】

【庭園】

【邸内の生け花】

【無為庵玄関】

【無為庵の庭側】

【木の門より和館を見る】

【庭から本館を見てみる】

邸内の様子は私のYouYubeの画像からご覧下さい。
YouTubeでの邸内画像
いつもご視聴いただきありがとうございます。
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